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丸屋 武士(著) |
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強大なフランス軍が進撃を止めた一方、海上においては6月7日、ソール湾の海戦において、英仏連合艦隊はデ・ロイテル提督率いるオランダ艦隊に大きな損害を与えることができず、オランダとしては海上からのイングランド侵攻のおそれはひとまずなくなった。このあたりの雲行きは、オランダにとって絶体絶命のピンチの中で、ほんのわずかの小康を得たという感じであった。他方イギリスにおいては、カソリックのフランスと組んで、議会の閉会中に勝手にオランダに戦争を吹っかけたチャールズ2世のやり方は、イギリス臣民に不人気であった。そのせいか、チャールズ2世は和平ポーズの一環として使節をオランダへ派遣した。連邦議会は来訪したイングランド使節との交渉権をチャールズ2世の甥でもあるウィリアムに与え、7月5日バッキンガム公爵とアーリントン伯爵の二人は陣中のウィリアムに面会した。二人は、英仏がオランダを征服した後、ウィリアムを英仏両国の保護のもとでオランダ領の君主とする方針を伝えてウィリアムの抱き込みを図った。この申し出を言下に拒絶したウィリアムは、オランダがフランスに征服されることはイングランドの国益に適(かな)わず、イングランドこそフランスとの同盟関係を解消してオランダと手を組むべきだと力説した。説得が不調に終り、ウィリアムの陣営を出立する際、第2代バッキンガム公爵ジョージ・ヴィリアーズは「このような絶望的状況で、そのご気性のままでは、お国の破滅を見ること必定でありましょう」と言った。これに対してウィリアムは「祖国の滅亡を見ずにすむ方法が一つ残されている。それは最後の塹壕を守って死ぬことだ」と答えたという。 |
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アムステルダム風景 (2004/12撮影) |
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7月20日、ウィリアムは自らハーグに向けて馬を駆り、連邦議会に姿を現して英仏の講和条件を読み上げた。イングランドの条件は、長年の係争となっている海上での表敬、漁業権料の支払いの他に、沿岸部を中心とする領土の割譲であった。一方、フランスの条件は7州に含まれない連邦直轄領の全てと、ヘルダーラント州主要部の割譲、通商上や宗教上の法外な要求の上に、オランダがこの敗北を忘れることがないよう、オランダが存続しているのはひとえにフランス王の慈悲のおかげであると刻印した金のメダルを、毎年ルイ14世に贈るようにというものであった。そして英仏共に、残されたオランダの領土においてはオレンジ公ウィリアムを主権者とすることを求めていた。この余りに苛酷な講和条件に、茫然とし唖然とする連邦議会の古参議員たちは、ただ21歳のウィリアムを仰ぎ見るばかりであったという。前述したドーヴァーの密約の条文「ネーデルラント共和国の連邦議会の傲慢を罰し、この国民を打ち据える決意云々・・」という言葉通りの事態に立ち至った。その周章狼狽の議員たちの注視の中で、ウィリアムは初めて公の場での演説を行い、それは3時間を越えた。まず、英仏の要求は考慮に値しないと一蹴した上で、今後ブランデンブルクやスペイン、神聖ローマ帝国(オーストリア)からの援軍を期待することができ、イングランドのチャールズ2世は議会によって停戦に追い込まれる、との観測も述べた。そして最も重要なことは、英仏両国から保障されている残されたオランダ領の主権者としてのウィリアム自らの地位を断固として拒絶すると、きっぱり言明したことであった。 |

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