丸屋 武士(著)
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 そしてこの6月29日から7月9日までの10日間で、本編の主人公ウィリアム3世の運命は急転した。4歳に達しない時点で、デ・ウィットら共和派(議会派)によって廃止されてしまった曽祖父ウィリアム1世以来の「総督」職がウィリアムの手に戻って来たのである。6月29日、前線で多忙を極めていたウィリアムは皮肉なことにデ・ウィットの故郷であり、その父が市長を務めたドルドレヒト市に連れてこられた。国境に近く、防備も弱いために自分たちの町がフランスに割譲されるのではないかと疑ったドルドレヒト市民は半狂乱に陥り、ウィリアムに助けを求めたのである。連れて来なければ八つ裂きにすると脅かされていた使者の懇願を聞き入れてドルドレヒト市庁舎に赴いたウィリアムは、何食わぬ顔をして何か提案があるか、と聞いたという。もじもじしているこの自治都市の政治家達にウィリアムは、用があると言われてやって来たのだが、と水を向けた。言うに事欠いた政治家達は咄嗟にウィリアムに町の防備や武器庫を視察して欲しいと申し出たという。その言葉に素直に従い視察して戻ったウィリアムに市民達が意気込んで問い質すと、ウィリアムは視察に満足していると答えた。もうこうなったら収まらない。激昂した市民達は市の政治家を威迫し、畏怖させられた政治家達は、ウィリアムを市の名において総督に選出するという決議文を作製した。それを見せられたウィリアムは平然として、「恒久令」によって総督位は永久に廃止されており、自分自身も大将軍就任の際に、総督位は受け入れないと宣誓していることを指摘した。すると市民達は二人の神父を見つけ出して来てウィリアムを宣誓の義務から解放すると宣言させた。これで決まりであった。衆民は狂喜し、ドルドレヒト市庁舎にはオレンジ・ナッソー家の(紋章)旗が掲げられた。この日(6月29日)のうちに、ロッテルダム、ゴーダ、ハーレム、デルフトがウィリアムを総督に推した。オレンジ家と最も深い対立関係にあったアムステルダム市も7月2日には同調した。7月3日の日曜日の晩からホラント州議会で審議が始まり、7月4日未明、ウィリアムを正式にホラント州の総督であり、大将軍、大提督であると決議した。7月8日、ウィリアムがオランダ連邦共和国の終身の大将軍にして大提督であることが宣言され、翌9日、連邦議会に出席したウィリアムは祖国のために尽くすことを宣誓し、ついにオランダ連邦共和国総督に就任した。デ・ウィットの18年間に及ぶ苦心と営為は10日間で水泡に帰したのである。あるいは水底に没したと言うべきか。同時に、水びたしになっている国土が凍結して、フランス軍が進撃できるまであと何ヶ月か、オランダ連邦共和国の命運も今や風前のともし火となった。
アッペルドールン ヘットロー宮殿案内塔 (2004/12撮影)

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