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丸屋 武士(著) |
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アッペルドールン 付属の厩からヘットロー宮殿正面への道 (2004/12撮影) |
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国土の25%が海面より低いとされるオランダにあっても、この年は雨が少なく、洪水戦術が功を奏するには数週間が必要であった。ところが幸運なことに、この時点でフランス軍が進撃を中止した。ユトレヒトを陥落させた後、この時代にしては珍しく城壁を持たなかったハーグを奪取することはフランス軍にとってそう難しくはなかったはずである。ユトレヒトからハーグまでおよそ60キロ、水に妨げられなければ進軍に何日もかからない距離である。そうせずにフランスが進撃を中止したのは圧倒的な戦力差を認識しているルイ14世の判断による。既述のように彼は今回の拳を「オランダ旅行」と放言していた。なまじの戦闘で犠牲者を出さなくても、1日も早い和平を望んでいる商売オタクのオランダ連邦政府に一方的な条件を呑ませても講和できると判断したからである。アムステルダムの商人貴族の中には不埒にも(無邪気にも?)償金を払ってフランスに統治されても商売(海上貿易)さえできればいいと考える者もいたようである。フランスがどんな苛酷な講和条件を持ち出してくるかも知らずに、脳天気にも1日でも早く講和したいオランダ連邦政府と、あくまで尊大に構えているフランスとの和平交渉は、紆余曲折を経て6月29日開始されるに至った。 |
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