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丸屋 武士(著)
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 「朕は国家なり」という言葉で世界中に知られる絶対君主の典型、ルイ14世は1666年(22歳)、それまで幼い(5歳で父ルイ13世を失った)彼の摂政であった母后アンヌ・ドートリッシュ(スペイン国王フェリペ4世の姉)を支えて政権を担当してきた大宰相マザランの死を契機に親政に乗り出した。自らコルベールら有能な政治家を積極的に登用し、重商主義を推進して「富の戦争」にフランスの優位を確立し、パリからヴェルサイユへの遷都を敢行した。同時に侵略戦争を次々に展開して(ネーデルラント戦争、オランダ侵略戦争、ファルツ戦争等)東方に領土を拡大した上、アメリカとアジアの植民地をも確立した。日本では徳川四代将軍家綱、五代将軍綱吉の治世であったが、この「太陽王」ルイ14世親政の54年間にわたるフランス事情に関しては、枚挙にいとまのない文献類が出版されている。「百科全書」の特別寄稿者にして編集顧問であり、信教と言論の自由を求めた啓蒙思想家、18世紀を代表するフランス人ヴォルテール(1694〜1778)はそのものずばり『ルイ14世の世紀』と題する本を著した。16世紀はスペインの世紀であり、17世紀はオランダの世紀であった。アムステルダムにあるオランダ国立博物館の展示物の逸品の数々はそのことを如実に示すとされている。そしてシリーズ7で言及した経済学者アダム・スミスもパリに留学していわゆる啓蒙思想家達との交流を楽しんだように、18世紀はフランスの世紀であった。
 その18世紀そのものであるこの絶対君主の治世の輪郭の中で、ここではその「軍政改革」について簡単にふれてみたい。軍政改革に手をつけたのは陸軍大臣ミシェル・ル・テリエであったが、国王の後ろ盾を得て、「近代における最も偉大な軍政改革者」の一人となったのはその息子のルーヴォア侯爵である。工兵隊、砲兵隊のような「特殊部隊」が新設され、1678年にはフランス陸軍の常備軍は28万に達した。
更に1688年(元禄元年)、ついに民兵選出制度が導入されるに至ったのである。この近代軍隊における徴兵制度への実質的な第一歩は、フランス全土に張りめぐらされたカソリック教会小教区につき新兵1人を割り当てるというシステムで、村の広場でクジ(黒い紙片)に当った若者が故郷の村を離れて入隊させられることになった。こうして選ばれた最初の選抜民兵隊員25,000人には出身の教区から帽子、コート、半ズボン、長靴下が支給されるよう指示されていたという。制式武装や制服といった概念が導入され、近衛隊(4つの中隊があり第1中隊はスコットランド人で構成されていた)、近衛騎兵隊、近衛銃士隊、あるいはスイス人近衛隊、正規歩兵隊、正規騎兵隊、民兵隊等々から構成されるヨーロッパ最大最強の陸軍が作り出されたのである。余談になるがアレクサンドル・デュマの『三銃士』に登場するヒーローの一人ダルタニアンは実在の人物であり、1667年には近衛銃士隊第一中隊長であった。特権階級たる貴族層が金銭で将校任官状を売買していた時代に、大佐の任官状を購入しなくても中佐が陸軍准将に任命されるような「システム」を作り出させたルイ14世は、それまでは半独立(貴族の私兵等)の小規模な寄せ集めの軍隊に過ぎなかったものを、中央の権威(王の権威)に統括されて王への絶対的忠誠を誓い、服装、給与制度が整った秩序と規律のある近代的軍隊へと進化させたのである。

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