 |
 |
 |
丸屋 武士(著) |
 |
(2004年2月) |
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 |

(1985/11 撮影) |
街の中に大学があるのではなく、大学の中に街が押し込まれている感じがする学都オックスフォードの北西約12キロの位置に人口2000余りのウッドストックの町がある。ここにモールバラ公爵家の屋敷があって、同家8代目の分家の出である大宰相ウィンストン・チャーチルはこの宮殿の一室で生まれた。部屋数200余り、建坪2万7千平方メートルの宮殿は、1705年から17年の歳月をかけて完成された立派な建物であるが、何よりも驚かされるのはこの宮殿の敷地の広さである。その面積は61平方キロ、東京23区のうち最大の面積を有する世田谷区(58.8平方キロ)よりも広く、池というよりは小湖水を擁するこの庭園のたたずまいは全く見事であり、ここを訪れる者はただその広さに驚嘆するばかりである。
このブレナム宮殿はジョン・チャーチル(1650〜1722)がスペイン継承戦役においてイギリス・オランダ・オーストリア連合軍最高司令官として1704年8月13日バヴァリア(南東ドイツ)はドナウ河沿いの小村ブリントハイム(英語名ブレナム)で、フランス・バヴァリアの軍勢を撃破し大勝を博したことによる恩賞としてアン女王から下賜されたものである。
先にこのシリーズ4で、イギリスという国家はイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの間の「文化交流の歴史」と「二重三重の愛憎関係」とを内包する複合国家であることを強調した。このブレナム宮殿が建立されるに至る経過もまた文字通り「二重三重の愛憎関係」に彩られ、二転三転どころか三転四転する英仏二国の関係を象徴する出来事の連続であった。 |
|
|
かってニューヨークに住んでいた頃、知人のアイルランド系アメリカ人が身辺の出来事を怒って、「My Irish blood is boiling(アイルランド人の自分の血が煮えたぎる)」と憤怒の形相で私に語ったことを思い出す。ニューヨークの警察官はアイルランド系が多く、それは彼等がけんかっ速く正義感が強くて警官に向いているのだという俗説を何度も耳にした。いずれ取り上げる予定の作家ジョナサン・スウィフト(『ガリバー旅行記』の作者)、あるいは今後言及したいと思っている世界最初の従軍記者(戦争特派員)ウィリアム・ラッセル、更には劇作家バーナード・ショウ(『マイ・フェア・レディー』の原作者)は三人ともアイルランド人である。あるいはアイルランド系イギリス人とでも呼ぶべきか。アイルランド人の特徴としてよく言われるのはイングランドに対する憤怒の情が強いということである。シリーズ4でお話したようにスコットランド人、とりわけアイルランド人のイングランドに対する憤怒は時に激しく、その言説を極めて鋭い(辛辣な)ものとする。イギリス(英国)という国についてバーナード・ショウ(1950年没)が著書『運命と人』の中でナポレオンの口を借りて指摘するところによれば、「英国人は自己の欲望を表わすに当り、道徳的宗教的感情を以ってする事に妙を得たり。しかも自己の野心を神聖化して発表したる上は、何処までもその目的を貫徹するの決断力を有す。強盗掠奪を敢えてしながら、いかなる場合にもその道徳的な口実を失わず、自由と独立を宣伝しながら、植民地の名の下に天下の半を割いてその利益を壟断しつつあり」というのがイギリス人の一面である。(矢部貞治著『近衛文麿』1976年読売新聞社刊より)。 |
 |
ではその隣国フランスはどのような国であるのか。ドーヴァー海峡を隔てわずか30キロ先(津軽海峡程度の距離しかない)のフランスは「久しく覇を欧州に称するを以って、其の人民の気概自ら殊にし…」と山縣有朋に評されたように、この国は頑固で、保守的な閉鎖性を帯びた排外主義(chauvinism)、あるいは「外国軽蔑の国」であることを日本人は案外知っていない。ヨーロッパにおいてフランスは早くから中央集権制を確立し、しかもそれが長期間継続したことによってフランス人の心の中には封建制のわくを越えた強い民族意識が育まれた。この強烈な民族意識とカソリックの伝統(フランスのことを別名「教会の長女」とも呼ぶ)にもとづく宗教的エリート意識とが結びついてフランス独自の気風(国民性)が培われてきたのである。ドイツに対する戦いの中で自らはパリを逃れてロンドンに身を置いたこともあるドゴールは、大統領となるや英米(とりわけアメリカ)の神経を逆なでするような言動を繰り返し、あげくにはカナダのケベックの独立を煽るようなことまでした。歴史家にして哲学者ドゴール将軍の態度はまさにフランスそのものであったと言えよう。芸術を愛するフランス人が武器の製造技術に秀で、ミラージュ戦闘機やエクゾゼ・ミサイルに見られるように、兵器の輸出がフランス経済を支える大きな柱となっている現実を我々はしっかり認識すべきである。因みに、ワインの最大輸出国はイタリアであってフランスではない。1980年代の貿易摩擦問題に際して、ジョベール対外貿易相が「日本はヨーロッパ市場を必要とするが、ヨーロッパは日本を必要としない」と発言したのはそのようなお国柄からして当然の事である。フランスはいつからそんなに強大かつ尊大な国になったのか。 |
|

 |
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 |