丸屋 武士(著)
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  1685年、チャールズ2世の死によって王弟ヨーク公ジェームズがジェームズ2世として王位についたが、自らの死の数日前になってカソリック信仰を告白した老獪な兄と違って、あからさまにイギリスのカソリック化を推し進めようとする新国王(ジェームズ自身はカソリックであることを明白にしていた)に臣民の多くは不安を高めていた。1688年6月8日ジェームズに男子が誕生し、カソリックの王位継承者が必至の情勢となって不安は頂点に達した。6月30日夜シュルーズベリー伯爵以下7人のイギリス貴族が連名でオランダのオレンジ公ウィリアムにあててイギリス侵攻を要請する手紙を送ったのである。オランダ人ウィリアムは軍人として勇猛果敢で知られ、母はイギリス国王チャールズ1世の長女メアリー、妻はチャールズ1世の次男ジェームズ2世の長女メアリーという、要するに、いとこ同志の結婚をしていた。
ウィリアムのイギリス侵攻に対抗して迎え討つ味方の最重要人物、本編の主人公ジョン・チャーチル陸軍中将にも土壇場で寝返りを打たれてジェームズ2世は長女メアリーの夫のウィリアムと一戦も交えずにフランスへ逃亡した。父チャールズ1世は1649年1月30日群衆の見守る中でマサカリで首を切り落とされた。議会の設置した特設法廷によって「専制君主、叛逆者、殺人者、国家に対する公敵」として死刑を宣告されたからである。当時15歳のジェームズと三つ違いの兄チャールズ2世は前述したようにいとこのルイ14世(当時10歳)を擁するブルボン朝の庇護を求めてフランスに亡命したが、国王在位3年にしてジェームズはまたもやパリに逃れる破目に陥った。最初の亡命から40年が過ぎ、いとこのルイは20年の歳月をかけて完成されたヴェルサイユ宮(東京の皇居の6倍もの面積を有する)の主として、ジェームズの祖父ジェームズ1世の王権神授説を地でいく日常生活を送り、神の分身として、国民に公開して毎日の豪勢な食事(王妃は出産も公開)もしていた。娘二人(メアリーとアン)に裏切られた気の毒なジェームズ2世に肩入れして、ルイはパリ郊外サン・ジェルマンの地に亡命政府の樹立を認めてくれた。
ジェームズの逃亡を受けてイギリス議会は国王の空位を宣言し「権利の宣言」を採択した。議会は当初ウィリアムを王位につける意図はなかったが、ウィリアムもダテに2万余の軍勢を連れてイギリスに乗り込んで来たわけではなく、メアリーが単独で王位につくことは拒絶され、結局「権利の宣言」を受け入れることを条件に、ウィリアムはウィリアム3世として、メアリーはメアリー2世として共に王位についたのである。国王としてのウィリアムの名はウィリアム征服王(在位1066〜1087年)そしてその子ウィリアム2世(在位1087〜1100年)以来であり、メアリーの名はメアリー1世(在位1554〜1558年、ブラッディメアリーとも呼ばれる)以来である。「権利の宣言」はすぐに法律化され「権利章典」となったがその中味と意義については別の機会に言及したい。選挙権の拡大にはこの後150年の歳月をまたねばならなかったが、王と議会との関係における議会の優位と専制的権利に対する法の勝利を確立した点において無血で達成されたこの革命をイギリス人は後にGlorious Revolutionと評するようになった。日本語にして「名誉革命」とはあまり良い訳語とは思えない。余談になるがcivilizationを「文明」に、speechを「演説」と訳したのは福沢諭吉であり、日本にはそれまでこういう言葉がなかったのである。福沢は当初「演舌」としたがしばらくして(品が悪いと思ったのか?)「演説」とした。 ところがその福沢もパーラメント(Parliament)という言葉には難儀をしたらしい。1861年、徳川幕府がヨーロッパ6ヶ国へ派遣した遣欧使節(いわゆる「大君の使節」)竹内下野守の一行に「翻訳方」として加えられた福沢諭吉(当時27歳)はイギリスを訪れた時「政党」を理解するのに難渋した。議員を「一種の役人」と見るこの時の日本人一行の議会理解とそう遠くない所に福沢の理解もあったようである。「政党」どころか、お上の高札によって3人以上の人間が集って話をすることは「徒党」という曲事(犯罪)として最も重い禁制としていた国が、同時に2世紀余りも鎖国を続けていたわけであるから、この国の精神風土に与えた影響にははかり知れないものがあった。日本が直面する「対外前途の困難」を憂慮していた福沢は後年西洋人(白人)の人種的、宗教的偏見(優越感)を「数百年来遺伝したる西洋人の痼疾」と見て、この悪質な病気につける薬はないと歎いたが、200年を越える「封建制度」と「鎖国」とは「日本人の痼疾」とでも呼ぶべき独特の民族的特性(国民性)をもたらした。「対等で自由な議論を楽しみ、時としてそれを武器に生きる」といったギリシャ以来の西洋の伝統はこの国に根を下ろしたことはない。政治的には公開型、多数決型の西洋流に対し、根まわし、満場一致型の日本流は福沢が初めてイギリスを見てから140年以上経った今もほとんど変質していない。

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