丸屋 武士(著)
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(1985/11 撮影)
  初代モールバラ公爵ジョン・チャーチルのひとり息子ジョンはケンブリッジに在学中に天然痘にかかって死亡し、特旨によって女系による相続を認められていたモールバラ公爵位は長女のヘンリエッタが相続した。この場合彼女は公爵夫人ではなく女公爵と呼ばれるべきである。彼女が結婚した相手は父と共に政界を牛耳り、首相を務めたゴドルフィンの息子である。ところがヘンリエッタの息子も早世したため、彼女の妹アンと結婚したサンダーランド伯チャールズ・スペンサーの嗣子がモールバラ公爵位を受け継ぐというややこしいことになった。したがってチャーチル姓は消えてモールバラ公爵スペンサー家ということになったのである。その後1817年、ワーテルローの戦勝気分にあやかって第5代モールバラ公の継承の時点でチャーチル姓の復活が認められ、以後モールバラ公爵スペンサー・チャーチル家と名乗ることになったのである。現皇太子チャールズと結婚したダイアナ妃はスペンサー伯家(Earl of Spencer)の出身であり、彼女の紋章(女性の紋章は菱型である)の図柄はスペンサー家のものと同じである。
  写真に示すブレナム宮(現在第11代モールバラ公爵が管理運営している)案内板上の紋章は向かって左上、右下のチャーチル家の紋章に、右上、左下のスペンサー家の紋章を組み合わせてある。チャーチル家の紋章の左肩に見える白地に赤十字はイングランドの守護聖人セント・ジョージ(聖ジョージ)の旗である。これは初代モールバラ公ジョン・チャーチルの父サー・ウィンストン・チャーチルが清教徒革命(内乱)の際、王党軍に加わりチャールズ1世に忠勤を励んだことに対し、王政復古後チャールズ2世から下賜された加増紋である。また盾の上部中央に配置された小さな盾の紋章はセント・ジョージ・クロスの上にフランス王の紋章である「青地に金のゆり小紋」をあしらっているが、これは言うまでもなく前述したブレナムの戦勝に対する加増紋である。
 蛇足ながら英国国旗(Union Flag)について話を加えたい。ユニオン・ジャックというのは俗称であって、1801年制定されたユニオン・フラッグはイングランドの守護聖人・聖ジョージの旗(白地に赤十字)と、スコットランドの守護聖人・聖アンドリューの旗(青字に白の斜十字)、アイルランドの守護聖人・聖パトリックの旗(赤地に白十字)とを組み合わせてデザインされたものである。1815年6月18日、ワーテルローでナポレオン軍を撃破した初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズレーは、当然の事ながらその紋章に一際あざやかな加増紋を下賜された。今日も存続するウェリントン公爵家の紋章は、向かって左上・右下にウェルズレー家、右上・左下にコリー家の紋章を配した四つ割紋の中央上部に、ユニオン・バッヂの盾紋が配置され、英国人としてはこの上ない加増紋となっている。周知のように初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズレーはその後首相(First Lord of the Treasury)、オックスフォード大学総長(Chancellor of the University of Oxford)その他諸々の要職、名誉職を歴任し、大英帝国がその圧倒的な力を世界に誇示した第1回万国博覧会が開催された翌年(1852年)に死去した。その荘重な柩はセント・ポール寺院にネルソン提督の柩と並んで安置され、世界中からここを訪れる観光客を圧しており、「西洋文明の極致」とその美しさを称えられているウェストミンスター寺院と共に、英国(UK)という国の懐の深さを感じさせずにはおかない観光名所である。このシリーズ3(英国の鉄道)で紹介したように初代ウェリントン公は世界最初の鉄道会社の開通式に賓客として招かれ試乗した。以後どういう理由か、公は終生鉄道が嫌いで馬車等その他の交通手段を好んだという。
                                    <了>
参考文献
『モールバラ公爵のこと─チャーチル家の先祖』
 臼田 昭著(研究社選書 1979年刊)
『ルイ14世の軍隊─近代軍制への道』
 ルネ・シャルトラン著 稲葉義明訳(新紀元社 2002年刊)
『概説イギリス史』
 青山吉信、今井宏編 (有斐閣選書 1982年刊)
(2004年2月)
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