丸屋 武士(著)
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   オーストリア皇帝レオポルト1世は歓喜してチャーチルにミンデルハイム大公の称号とバヴァリア選帝公の領地の中から年1500ポンドの地代収入のある土地を恩賞として与えた。一方、狂喜したアン女王は1705年2月、モールバラ公爵ジョン・チャーチルのために、ウッドストックの地に「ブレナム宮殿」を建立し、先に議会から女王在世中と条件をつけられた5000ポンドの年金を終身支給することに決定した。翌1706年のラミリーズの大勝利に対してはさらに追加措置として、その年金は公爵の称号の続く限りとなって、モールバラ公爵チャーチル家にとっては万々歳の運びとなったのである。結局ブレナムの戦勝はかっての百年戦争におけるクレシー(1346年)、ポアチェ(1356年)、アジャンクール(1415年)の戦勝に匹敵する英国史においての栄光の地位を占めるものとなった。このような気前のよい恩賞に対して、モールバラ公爵家の義務は毎年ブレナムの勝利の記念日(8月13日)に、捕獲したフランス軍旗の複製を1本ウェストミンスター寺院に奉納するだけのことであった。
(中央白点は羊)
(1985/11 撮影)
  世田谷区より広い庭園の中で、宮殿の建物の真北1.6キロの地点にはジョン・チャーチルの妻セアラが夫を記念するために建立した勝利の塔が立っている。高さ44メートルのこの大石柱の頂部にはチャーチルの像が立ち、石柱の周囲の並木はブレナムの戦闘における英仏両軍の配置を模して植えられているという。好著『モールバラ公爵のこと──チャーチル家の先祖』の著者臼田昭氏の言うように、英国史上最高とも言える恩賞を獲得したジョン・チャーチルの成功の原因の半分は妻セアラ・ジェニングスの人的関係(人脈)にあった。
ブレナム宮殿庭園
(1985/11 撮影)

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