| 「総督」職ははずされたがウィリアム3世を当主とするオレンジ家は依然としてネーデルラント随一と称される巨大な資産を有していた。かてて加えて、英蘭戦争のような非常時を体験した民衆はオレンジ家に対する敬愛の念を深め、ウィリアム少年の乗った馬車に手を振る沿道の人々は増えこそすれ減ることはなかったという。オランダ連邦共和国は大商業ブルジョアや商人貴族が牛耳るホラント州議会が左右している国ではあったが、民衆のオレンジ家に対する敬愛の念には根強いものがあった。「沈黙公」と称されるウィリアム1世の「建国の父」としての決定的な役割や、その劇的な最後を含めて雄大凛烈な生き様は人々の心を捉えて離さない。同時に彼の後を維いだオレンジ家の人々が曽孫ウィリアム3世に至るまで、大勢に抗することをものともせず、一人でも立つ(あるいは断つ)勇気を持った「真の貴族」としての十分な資質を有することを、生活者として兵士としてオランダの民衆はわかっていたのではないか。「海上商業権の不可侵」とか立派なことを言う人々は「売れればいい」、「儲かればよし」だけの単純な人々ではなかったはずである。そうでなければ、絵画や近代思想等、この時代のオランダに市民文化が大きく開花することはなかったであろう。しかしながら、「飽く無き利潤の追求」、「限り無き欲心の発露」だけでは国家は立ち行かないことがわかっている民衆は、それ故にこそ、公共の為に命を失うことも厭わない「真の貴族」オレンジ家の人々に限りない敬愛の念と期待とを抱いていたのではなかったか。その期待にきっちりと応えて、若冠21歳のウィリアム3世は国家のリーダーとしてオランダ共和国の歴史上最悪の年を敢然と乗り切った。その結果、「どのような苦況に陥っても屈しない男」として全ヨーロッパから畏敬される人物となったのである。次回はその話をしたい。(シリーズ13へつづく) |