丸屋 武士(著)
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デルフト市庁舎(2004/12撮影)
 こういう背景において、デ・ウィットはホラント州議会を中心とするオランダ政界を巧妙に指導して、オレンジ家が世襲して来た総督職をついに廃止してしまった。それは後述するように、デ・ウィットと、戦争を仕掛けてきたクロムウェルの思惑が完全に一致した結果でもあったが、デ・ウィットとクロムウェルの思惑の一致以外に、何と言っても本編の主人公ウィリアム3世が生まれたばかりの幼児であることがオレンジ家を支持する人々に不利であった。それにも増して、デ・ウィットの政治家としての大目標(抱負)が事の成り行きの決定的要素であった。その大目標とは、オランダにおける準君主的な地位としてオレンジ家が代々担って来た「総督職」を全く排除した「完全な共和体制」を確立するというものである。デ・ウィットの父や仲間は彼等のめざした完全な共和体制を「真の自由」と呼んでいたのであった。かくしてホラント州主導によるオランダ共和制が黄金時代を迎えるという展開となった。
デルフト市庁舎の紋章(2004/12撮影)
 しかしながら忘れてならない事は、このオランダ共和制なるものは、人民主権による共和制ではなく、ホラント州の中心勢力たる、門閥大商業ブルジョアや都市行政の実権を握る商人貴族による寡頭支配体制であったということである。そう言われれば、戦国時代日本の自治都市、泉州堺における政治(社会)状況を想起する方もあろうかと思う。確かに当時のオランダには他のヨーロッパ諸国には見られない市民的自由の空気があった。だからこそ前述したようにフランス貴族の血をひく哲学者デカルトは、思想、研究の自由を求めてフランスから転住して21年間もオランダで暮らすことが出来、イギリスの政治哲学者ジョン・ロックは亡命者として受け入れられたのである。しかしその市民的自由は中世的な自治都市の自由であり、実権を握っていたのは既述のように門閥大商業ブルジョアや都市貴族という少数の人々であった。「海上商業権の不可侵」を金科玉条とするこれらの人々は戦時においてさえ敵国に食糧や弾薬を売ることを辞さない(恥じない)人々であり、自由な商売に介入したり干渉したりする国家権力を忌み嫌っていた。そのために州の主権を主張し、州レベル、都市レベルでの自治を徹底して、共通の軍事、外交問題に限って連邦議会で決定すべきとしていた。そのような人々の代表として、万能のルネサンス的巨人デ・ウィットが28歳にしてオランダ連邦共和国の舵取りを任されたのである。
 そのデ・ウィットの指導する極盛期のオランダ連邦共和国の前にまず立ち塞がったのがイギリスであり、次にフランスであった。フランスでは後に太陽王と称され「並び立つ者なし」を座右銘としたルイ14世も未だ10歳前後の少年で、マザランが主導するフランス朝廷はフロンドの乱を抱えて内治整わず、漁夫の利を下心に英蘭の争いを横目で睨んでいた。一方のイギリスは全く事情が違った。ピューリタン(清教徒)クロムウェルが支配する共和制のイギリスにとっても、その後の王政復古によってチャールズ2世が統治するイギリスにとっても、オランダを叩くこと、オランダを潰すことがイギリスの「国是」となっていった。

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