丸屋 武士(選)
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 大国日本脱湯之図
(1933(昭和8)年2月22日東京朝日新聞(2面))
 市民の群集的激情に水をかけ、時に雷を落して国民の偏見を正すことが真の指導者の重要な役割である。たとえ身を危険にさらしても市民(国民)の気に障ることを敢えて発言する勇気を持ったが故に、ペリクレスには「秀逸無二」の四文字が冠せられて二千四百年後の今日に至った。ただ選挙に勝つために(落選しない為に、という言うべきか)、多数者の意志に媚びて国益を損ない、あるいは国民を危険にさらすような言動をなす議員は世界各国に無数にいる。
 無条件降伏の敗戦という屈辱と、廃墟の中から立ち上がって必死に働き、オリンピックや万博の開催に至るまでの過程は、明治維新の出発点から不平等条約という屈辱に泣き、日清戦争勝利の暁から臥薪嘗胆を強いられて日露戦勝に至った過程と全く同じような「国民心理」の軌跡であった。そして「経済の高度成長」程度のことを鼻にかけ、「経済大国」とか「ジャパンアズナンバーワン」等の言葉に酔っていく過程も、「軍事力」を鼻にかけ、「一等国」だの「五大国」だのと酔いを深めていった過程とピッタリ二重写しである。その根っこにある「夜郎自大」「軽佻浮薄」という特徴は、「志の小にして思慮の足らざる」と福沢諭吉が慨嘆した時代といささかも変質していない日本の国民性である。
 二千万を越える人口をもって戦争らしい戦争もなく二百数十年も続いた国家は世界史に例がない。この二百数十年の空白によって、日本国民は日本国の実力や日本をめぐる国際環境、あるいは国際状勢の深部の潮流についての認識能力をほぼ失ってしまった。新聞雑誌やテレビなどを通じて、国際社会における常識だと日本国民が思い込んでいるものの多くは、実は希望的観測や独りよがりの心情に支配されたものに過ぎない。同時に、鍛えの甘いスポーツマンやビジネスマンがそうであるように、外国との関係において困難に出会いプレッシャーが加わると、容易に怒りを発したり感情的になってしまうのも二百数十年の太平、安楽のせいであろうか。「以心伝心」「根まわし」あるいは「腹芸」等の言葉に象徴されるように、内政的な問題を解決することでは日本国民は一流の能力を持っている。ところが、ひとたび外国(異民族)との問題を解決する段になると、「腹芸」や「根まわし」といった戦術的あるいは戦略的智恵を発揮するどころか、その前提となる情勢(現実)認識能力において、日本国民は呆れるほどお粗末である。昭和10年代の外国に関する新聞記事がそのお粗末の典型であり、アメリカは罷業(ストライキ)の多い国だからその生産力は見かけ程ではない、女が威張っている国だから長く戦争はできない、といった調子の荒唐無稽の記事が臆面もなく出ている。出版業も戦争モードに切り替わっていたと強弁したいところだが、問題はモードではなく本質的なところにあった。昭和8年2月の新聞は2月1日から2月末日まで毎日、トップ記事で国際連盟における満州問題(日本の立場)を大々的に取り扱っていた。そしてついに2月22日の二面トップ大見出し(当時の東京朝日新聞の一面は広告だけ)を「破局の連盟総会開く」とした東京朝日新聞であったが、そこには「大日本脱湯之図」と題された政治漫画がこれまた大々的に掲載されていた。そのマンガでは「れんめい湯」と書かれた湯舟を跨いで、体格も立派、貫禄たっぷりの裸の日本人が湯から出る絵が載っている。絵の中の銭湯のような湯舟の中でひしめきあっている大勢の外人(白人)は体格貧弱、顔も貧相ばかりに描かれている。いみじくも1933(昭和8)年2月22日のこの政治マンガ1枚が、「夜郎自大」「軽佻浮薄」という日本の悪しき国民性を最も端的に表現してくれている。大国アメリカ、ロシアも加入していない国際連盟ではあったが、その「満州(日本)問題」に関する2月24日の総会における投票結果は、賛成42、反対1(日本)、棄権1(タイ)、投票不参加1(チリ)という日本の完敗(惨敗)であった。インドはイギリスが支配し、インドネシアはオランダのそしてヴェトナムはフランスの植民地であり、目の前の香港はイギリスの99年(永久)租借地という現実の中で、後ればせながら帝国主義のバスに乗り遅れまいとした日本ではあったが、リットン調査団報告に基づく国連勧告という「外交戦」において日本は完敗した。見方を変えれば、これは「再度の遼東還付」とでも言うべき事態であった。国際社会においてこういう目(国連決議)に会えば、次に待っているのは経済制裁であることは火を見るより明らかであるが、そのような事態に対して備えるというよりは、希望的観測が横行する一方、幼児性むき出し(根拠のない強がり)の軽薄な風潮が支配する日本社会であった。日本という字の発音はニホンかニッポンかという話(読売新聞2006年4月28日朝刊)の中で、作家半藤一利氏は、日本人が外国を意識する時、あるいは日本人が外国にたいして肩肘(かたひじ)を張りたいとき、ニッポンと撥(は)ねあがるようである、としている。その延長線上にあったのが「紀元二千六百年祭」という国を挙げてのたわけたセレモニーであったか。1934(昭和9)年、文部省国語調査会が日本精神の作興(さっこう)の上からもニッポンに統一しようと提案したが、結局は国家的に制定されることはなかった。さらに1970(昭和45)年、佐藤栄作内閣の閣議で、政府内ではニッポンでゆこうと決められたという。卓話室Uのオランダ話でもお話したが、軽佻浮薄の最大の問題は、希望的観測と客観的事実とを混同して懲りないことであり、2006年冬のトリノオリンピックについての報道はそれを如実に示していた。日本が獲得したメダルは1個(金1)であったが、人口たった810万(神奈川県より少ない)の国オーストリアは23個(金9、銀7、銅7)のメダルを獲得して、ゲルマン民族の凄味を感じさせた。因みにアジアで最上の成績は隣の韓国で11個(金6、銀3、銅2)のメダルを獲得している。
 さてレスター・ブラウン(米地球政策研究所理事長)によれば、2006年のこの 時点で、地球上最も基本的な資源の消費量において中国は食肉が米国の2倍近く、鉄 鋼は米国の2倍を既に越えたという。中国と同様に台頭するインドに言及するまでも なく、21世紀は「激動の世紀」、「資源争奪戦の世紀」とならざるを得まい。日露戦争によって20世紀の幕が上 がり、イラク戦争によって21世紀が始まったことは極めて示唆的ではないか。資源 の争奪戦は大航海時代から(有史以来というべきか)行われては来たが、今世紀のそ れは地球文明全体の存亡がかかったものである。そういう国際社会で日本国が生き抜 いていくには、二百年を越える「天下泰平」によって培われた民族的体質(国民性) が、実は「とてつもない負の遺産」でもあることを今こそ厳しく認識すべきである。

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