丸屋 武士(選)
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 原理を明らかにしたことに加えて、嘉納治五郎の偉大さは、この柔術からクリエイトした「講道館柔道」というシステムを貫く世界万国に通用する「理念」を提示したことにある。その理念とは『精力善用、自他共栄』ということであり、オリンピック憲章や国連憲章の文言すらも空疎に聞こえる程、簡にして要を得ているばかりでなく、万国の人々が諸手を挙げて共感する内容を有する理念である。シリーズ6でも述べたように、「ハジメ」、「マテ」、「イッポン」、「ワザアリ」等々の言葉はラグビーの「ノッコン」、サッカーの「オフサイド」等々と同じく世界語となって「講道館柔道」は今や「地球文化」の一端を担う存在となっている。第二次大戦後、日本経済の発展を担って多くの企業戦士が海外に赴任し、また多くの学生が米英その他に留学した。こちらが日本人であることを知った外人から「柔道ができるか」と尊敬の眼差しをもって問われ、「否」という返事と共に、せめて基本だけでもやっておけばよかったと口惜しい思いをした方々は何万人も、あるいは何十万人もおられると思う。何事であれ、「日本個有の」とか「日本独特の」とか単に独自性、特殊性を強調するだけでは世界の人々の幅広い支持は得られない。柔術諸流のエッセンスを抽出して「原理」(嘉納がよく言う科学的根拠)を明らかにした上、「世界に通用する理念」で貫かれた「講道館柔道」というシステムを創造した嘉納治五郎こそ、「普遍性を有する世界文化」の構築に貢献をした近代日本最大の巨人と言うことができよう。
       
 今や日本は少子高齢社会となり、間もなく人口減少国に転落するという近代国家として未曾有の危機に直面している。同時に、外国との競争上からも社会のIT化は増々推進され、利便性、効率性に富んだ社会になる一方で、諸々の理由によって精神的な問題、即ち「心の問題」を抱える人々は増えこそすれ減ることはないという悲しい現実が横たわっている。「心の問題」の解決に資する「禅の修業」や「武道の修練」は日本社会の土台をなす大きな「ソフトパワー」であり、とりわけ「講道館柔道」は万国の人々を惹きつけ、外から日本を支えるソフトパワーとして、嘉納が断言したように未来永劫亡びることはないであろう。ここに紹介する二つの文は講道館草創期の文字通り血のにじむような苦闘を嘉納自身が語るものである。
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