丸屋 武士(著)
(2003年8月)
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(1985/11 撮影)
 1346年に創立されたクレア・カレッジの紋章は向かって左に創立者であるエリザベス・ドゥ・クレア(Lady Elizabeth de Clare)の生家の紋章を、右に彼女の最初の夫ジョン・ドゥ・バラ(John de Burgh)の生家アルスター伯(Earl of Ulster)の紋章を置いている。左右の2つの紋章に水滴を配した黒い縁どりを加えているが、これは彼女が夫のジョンを失った悲しみを表したものとされている。
(1985/11 撮影)
 エリザベス・ドゥ・クレアは、当時としては最も有名な封建領主のひとりである第9代クレア伯(ninth Earl of Clare)ギルバート・ドゥ・クレアの三女として生まれた。母は国王エドワード1世の王女ジョアンである。父はまたグロースター伯領、ハーフォード伯領を併せて所領とする大領主であり、彼女が生まれた時には十字軍に出征中であったという。若くして結婚したエリザベスは終生夫運に恵まれなかった。最初の夫ジョン・ドゥ・バラを1313年に失い、翌14年には兄である第10代クレア伯がバノックバーンの戦いで若くして戦死してしまった。イングランドの騎士部隊が空前絶後の打撃を受けたといわれるこの戦闘は、スコットランド救国の英雄ロバート・ブルースに率いられるシルトロンの、イングランド軍に対する輝かしい勝利の戦いとして知られている。
 これより17年前(1296年)、イングランド国王エドワード1世は、互いに反目しあうスコットランド貴族の争いに乗じてスコットランドに進撃し、自らスコットランド国王となった。その際、戦利品としてスクーンの石(Stone of Scone-スコットランド国王が戴冠の座として使用してきた由緒ある石)を持ち帰り、この長方形の石をイングランド国王の戴冠椅子の脚部にはめ込ませた。1308年以降現在の国王エリザベス2世に至るまで、3人の例外を除いて歴代イギリス国王の戴冠式に使用されてきたこの椅子は、ウェストミンスター寺院に保管されて一般の見学者が手近に見ることができた。次々と議会制定法(Statute Law)を通過させ、土地法を整備して、「イングランドのユスティニアヌス」と称された英邁なエドワード1世は1307年に没し、怠惰で無能な王子エドワード2世の下で、イングランドはバノックバーンの戦いに敗れたのである。一種の性格破綻者であったエドワード2世はイギリス史上初めて廃位され国王廃位の先例となり、しかも悲惨な死をとげた。国王が王妃イザベルと反国王派貴族によって無残に暗殺されて(1328年)間もなく、日本では北条高時の自決によって鎌倉幕府が滅亡し(1333年)、翌年「建武の中興」ということになって京都がまた政治の中心となった。
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