丸屋 武士(著)
貫徹せり、オランダの世紀−国士ウィリアム・テンプル−
底深い精神文化
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デルフト市 旧教会 (2004/12撮影)
 福沢も勝も他界してしばらくたった1916年(大正5年)6月13日午後、東京は上野で、3年前にノーベル文学賞を授与されたインドの詩聖タゴールの歓迎会が開催された。奥田義人東京市長、山川健二郎東京帝国大学総長、高田早苗文相(大隈の後を受けて早大総長を務める)、河野広中農商務相らと共に出席した大隈重信首相は、タゴールがベンガル語で話をしたのに英語で話をしたものと思い込んでいたという。この2日前、6月11日午後4時からタゴールは東京帝国大学八角講堂において『日本に寄せるインドよりのことづて』と題する講演を行っており、その内容は新聞各紙に大きく報じられていた。3年前(1913年)、タゴールがノーベル文学賞を受賞した当時のアメリカのある新聞は次のように報道したという。−−−−「ノーベル賞がひとりのインド人に授与されたことで、白人作家たちのあいだに多大の憤懣と少なからぬ驚愕の念がもちあがっている。この栄誉がなにゆえ白人でない作家に贈られたのか、彼等は理解に苦しんでいる」(森本辰夫著『ガンディーとタゴール』1995年第三文明社刊)。明らかにこれは、白人(西洋)優位、有色人種(アジア)蔑視の一般的風潮を反映した新聞記事の一つである。そしてこの時代の大多数の日本国民が、アジア人として初めてノーベル賞を授与されたタゴールに期待したのは、そのような西洋(白人)優位の風潮を払拭してくれるような言動であった。ところが、タゴールの思うところ、言わんとするところは、人種の優劣には全く関係なく、しかも日露戦争に勝っていい気になっている日本国民が期待するような言説とも全く異なるところにあった。
 明治維新以来、何度こちらからお願いしても改正してもらえない不平等条約という屈辱に呻吟し、日本国民は二十数年という臥薪嘗胆の歳月を経て日清戦争の勝利者となった。これを見た欧米各国は、次々と日本に対する不平等条約を改正してくれた。国際政治の冷厳な一面というべきか。しかしながら日本はこの日清戦争に勝利した途端に、ヨーロッパ列強から「遼東還付」あるいは「三国干渉」と呼ばれるお仕置きをくらった。出る杭は打たれるという典型的な出来事であった。「遺(や)る瀬なき悲憤」を抱えてその後10年、日本国民が上から下まで必死の思いで戦った日露戦争は、満州というロシアの庭先の戦闘であり、ナポレオンや後のヒトラーのようにロシア本土に踏み込んでの戦争ではなかったが日本は勝った。この頃から日本国民の間には驕慢の風が吹くようになった。無理もないこと、とも言えよう。長い間日本国民が西洋に対して抱いていた「劣等感」の反動が出て来たのである。そしてタゴールが来日した頃戦われた第一次世界大戦において、日本は英米側に与して大した犠牲もなく戦勝国の一員となった。戦後ヴェルサイユ講和会議に西園寺公望率いる大勢の全権団を送り(その中に若き日の近衛文麿と松岡洋右が含まれていたことは記憶すべきことである)、敗戦国ドイツからグァム島を除くドイツ領南洋群島(現ミクロネシア)を獲得した。昨今グァムやミクロネシアでバカンスを楽しむ人々はこの事実を知っているであろうか。こうなると「三等国から五大国の一つになった」と無邪気にも思うようになるのも勢いというものであろう。「夜郎自大」という国民性は21世紀の今日も全く変質していない。
 確かにタゴールは、日本人の大多数が期待したように、当時の日本と比べて遥かに高いヨーロッパの生活水準や強力な軍事力等を全く評価せず、西洋の物質文明こそが人間をみじめな状態におとし入れているとして次のように述べた。「ヨーロッパは人間性に顔を向けている時は善意にあふれ、他に類を見ないほど善良です。しかるに自己の利益を見つめ、人間の中にある無限なるもの、永遠なるものに敵対するために彼等の偉大な力を使い始めると、ヨーロッパは有害な側面を示すようになり、そこでも比類ないほど邪悪な存在なのです」(大澤吉博著『ナショナリズムの明暗』1982年東京大学出版会刊)。しかしながらタゴールはヨーロッパの過去における深い精神性の故に、ヨーロッパを否定し去ることはなかった。「三等国から五大国の一つになった。大したもんだ」などと自惚れ始めた日本国民の大多数は、そのような気分に水をさされてタゴールの言うことには白けてしまった。熱っぽくタゴールを見つめていた日本朝野の目はあらぬ方へ向いてしまい、タゴール熱は一気に褪(さ)めた。タゴールは西洋文明の欠点を厳しく批判はしたが、西洋文明の底部には深い「精神文化」が存在することをよく承知して次のように述べた。「民族の偉大さを表わす根は、その特性を示す、意識下の土壌に生えているものです。ヨーロッパの秘められた心の中には、人間の愛の最も純粋な流れが走っており、正義を愛する気持、高貴な理想のためには自らをかえりみない精神があります。何世紀にもわたるキリスト教文化がヨーロッパ人の生活の髄にしみ込んでいるのです。ヨーロッパには皮膚の色、信条に関わりなく、人間の権利を擁護した高貴な人々がいました。」(大澤吉博著『ナショナリズムの明暗』)。
エクゼター市 エクゼター大聖堂 (2004/12撮影)

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