丸屋 武士(選)
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 古来「苛政は虎よりも猛し」と言われている。折角『学問のすゝめ』をお読みになったならば、「天は人の上に人を---」云々の空疎単純な言葉よりは、せめて「---ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。」という言葉を憶えておいて欲しかった。福沢は「楠公権助論」の例に見られるように、時に激越な嘲罵の言を弄したが、切言痛論、揶揄嘲弄する相手(対象)は議員や役場員ではなく我々市民(国民)一人一人であることを忘れるべきではない。議員も役場員(公務員)も国民がそういう役目を選びあるいは付託しているに過ぎず、問題の本質はあくまで日本国民一人一人の文化の素質であり、それに基づく政治意識のレベルである。議員を嗤い役場員(Civil Servant)を謗(そし)ることは欲求不満の刹那的解消にはなってもそれこそ正に天に唾する行為である。
 元経団連会長土光敏夫氏の母堂土光登美女史は昭和17年、各種学校「橘女学校」を横浜市鶴見区に設立した。70歳の老女(烈女と呼ぶべきか)をしてそのような行動に走らせたのは、当時の日本国民の愚かしい風潮であった。その愚かしい風潮の中でも、実に「愚の骨頂」とでもいうべきものが「大政翼賛会」なるものであった。近代社会に不可欠な言論を圧殺した挙句に「紀元二千六百年祭」というたわけたセレモニーが開催され、まさに「一億総愚民化」の様相を呈した。時の首相等々が麗々しく出席したこのセレモニーをすっぽかした山本五十六はさすがであった。23歳で留学を命ぜられ、ウースター商船学校その他において7年間もイギリスでの勉学を続け、兵科(航海、砲術)ばかりでなく国際法にも精通した東郷平八郎、陸軍大学校長、台湾総督としても腕を振るい満鉄(南満州鉄道株式会社)創立委員長をも務めた児玉源太郎らと並び世界を見通し、「世界に通用する見識」を有した山本五十六は日本が世界に誇る数少ない将師の一人である。この当時のように「一等国」とか「五大国」とかいう言葉に酔っている大多数の日本国民を見れば、福沢は気絶あるいは悶絶したであろう。そのような愚かしい風潮の行きつく先が「敗戦」という破局と世界戦史にも珍しい「無条件降伏」という屈辱であった。日本国民はマッカーサーを見て忽ち「一億総懺悔」を行い、「過ちは繰り返さない」ことを誓ったのではなかったか。「過ちを繰り返さない」ということは即ち「山本五十六の悲劇を繰り返さない」ということである。
 土光女史は既に昭和12年、日華事変が勃発した頃、「国の亡びるは悪によらずしてその愚による」と喝破したという。愚かな人心を正し、賢明な国民を育てるためには、まず育児の任にあたる女子をしっかりさせねばならぬとして、女子教育に文字通り余生を捧げた。しかも野球の「ストライク」や「アウト」という言葉さえ使うことができなかった戦時中のバカバカしい英語禁止時代に、二世の女性教師を雇い、周辺の白い目に抗して同校の英語教育は終戦まで貫徹された。卓話室Uのオランダ話(シリーズ10〜15)で紹介したエリザベス1世の曽祖母マーガレット・ボーフォート、オランダ建国の父ウィリアム1世の母ユリアナや源頼朝の乳母比企尼のように女性の力は誠に偉大である。子供を生み、子供を育てる女子の教育を含め、国民の愚民化を防ぎ、それによって国力(近代国家としての総合力)を増強すべく、教育全般について今や日本国民が総力を挙げ、国家の存亡を賭ける意気込みをもって取り組むべき時ではないか。
          (シリーズ13に続く)
(2005年12月)

≪参考文献≫
『ツキディデスが伝えるペリクレスの演説』(訳注:真下英信)
(大学書林)1991年刊
福沢諭吉著『学問のすゝめ』 (岩波文庫)2005年刊(第85刷)
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