丸屋 武士(選)
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 かくして現状は、廉恥の心を持たない「破廉恥」な者が横行し、公(public)と私(private)の混同は至るところで行われて止む様子もない。いちいち個々の事象に言及する必要もないが、「建築基準法」のような法律を手厚く整備し、「コンプライアンス(法令遵守)委員会」のような制度をいくら拡充しても問題は解決しない。
 このような根本的な問題に加えて、日本社会は、有史以来最大規模の不況(ディプレッション)から未だ脱け出せていない。定期預金に実質的には金利が付かなくなって、前代未聞の事態に国民が等しく苦しんでいるデフレーション(極めて深刻な不況)の実態、あるいは実情についての説明には多言を要しない。ウェブサイトでも読むことができるカール・マルクスの『共産党宣言』序章に記述されているとおりの日本(経済)の状況だからである。
 「適者生存」あるいは「弱肉強食の原理」が図らずも剥き出しになってしまった社会状況に対応し、あらゆる産業、企業が、そして個人が、喰うため生き残るために恥を忍び、あるいは恥知らず(破廉恥)になってもがき足掻(あが)いている、というのが昨今の実相ではないか。建設業その他に手抜きが横行し、製造業には生命の危険をもたらすような欠陥品が続出、出版業もいかがわしい広告の掲載に躊躇してはいられない。あらゆる営利事業、経済活動の総代のような形で監査法人も恥を忘れて生き残るために懸命の有様である。こういう状況が社格の高低や規模の大小には全く関係なく、ごく一般的な社会現象となっているのが今日の日本の姿である。
 とどのつまり現下の事態は、そのマグニチュードが「昭和恐慌」をはるかに上回って大手都市銀行の名前をいくつも吹っ飛ばしてしまった「平成大恐慌」と、「いわゆる戦後民主主義の行き詰まり」とが重って招いた必然的成り行きとも言えるが、警察官、検察官あるいは刑務所をいくら増やしても問題は解決せず、「万人に廉恥の心を呼びさます不文の掟」が確立されるまで濁世、乱世は続くのであろうか。福沢が「愚民の上に苛き政府あり」という言葉を用いたのは、愚民を支配するには道理をもって諭すのは困難で、ただ威をもって畏(おど)す以外に手はなく、人民の徳義が低い場合は政府の法が苛く(過酷に)ならざるを得ない、という意味においてであった。昨今の日本社会の状況をして敢えてその一つの典型と申し上げたのは、過酷な法や刑罰を設けるよりも、みんなのお金(税金−公金)を「手当」とか何とか名目を捜して失敬する方がよほど苛いと思うからである。
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