丸屋 武士(著)
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 作家のオスカー・ワイルドは1874年ここに入学した。『ローマ帝国衰亡史』の著者エドワード・キボンは1752年から翌年にかけて14ヶ月、モードリンで学生生活を送ったが後に彼は、モードリンでの生活は生涯で最も怠惰で空虚な生活であったと回想した。
(1985/11 撮影)
 前稿で触れた国王ヘンリー8世に仕え、1515年大法官(Lord Chancellor)となって政聖両界の頂点に立ったトーマス・ウールジー(Thomas Wolsey 1457?〜1530)はここの出身である。イプスウィッチの肉屋(あるいは牧羊業者)の息子であるとされるウールジーは、オックスフォードのモードリン カレッジに入学し、15歳で学士(B.A.)となって「少年学士(boy bachelor)と称賛され、同カレッジのフェローに選任された。続いて修士(M.A.)課程を修了すると間もなく同カレッジ付属校の校長に任命されるという秀才ぶりであった。
(1985/11 撮影)
 1521年に処刑されたバッキンガム公の例に見られるように大貴族の命運をも左右し、その実力者ぶりはイングランドの歴史上例を見ないと評された。その後任のトーマス・クロムウェル(Thomas Cromwell)のように無残な斬首刑に処されることはなかったが、最後は国王ヘンリー8世の寵を失い失脚した。石田三成もこのようなタイプの秀才であったか。
(1985/11 撮影)
 マートン・カレッジ横の空き地(Merton's Field)でラグビーに興ずる子供たち。
 背景に見える塔はモードリン・カレッジの鐘楼であり、15世紀に建立されたこの塔は、オックスフォードで最も目立つ建造物である。
(2003年1月)
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