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丸屋 武士(選) |
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さらに加えたい、要するに恐れ知らずと臆病者、国をあとにするものと国から一歩も外へ出ぬものの違いだ。じじつかれらは外に出れば何かが手に入ると考え、諸君は出れば手の中のものを失う、と恐れるからだ。そして敵に勝つときはどこまでも追撃をゆるめず、敗れるときは一歩退くことをも惜しむのがアテーナイ人だ。しかもポリスのためならば、命をも羽毛のごとく軽んじるが、ポリスのために一事をなさんとするとき己が最高の知性を発揮する。さらに企てて行わざるは己の損失と心得ている、しかし攻めて掌中に収めたものは、さらにすすんで得られるはずのものに比すれば、僅少であるとしか思わない。よしんば企てて挫折することがあっても、案を練りなおして損失を補う。決議をただちに実行するために、ただアテーナイ人のみが、意図すれば直ちに希望と現実を一致させることができる。しかもその一つを成すにもかれらは危険にみちた全生涯を営々と苦労に堪えつづけ、つねに得ることに懸命であるために、すでに手中にあるものを楽しむ暇はほとんどない。祭行事でさえかれらにとってはたんなる必要な義務遂行でしかない、また手を休めて静寂を楽しむことは骨を砕く多忙よりも恐ろしい災害としか考えられないからだ。このために結局、かれらは自分にも他人にも、安じる暇を許すことができない性癖をもつ、と言っても間違いではない。 |
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ラケダイモーンの諸君、これが諸君の前に立ちはだかっている帝国の正体だ。しかるに諸君はさいごまで逡巡し、容易に考えを改めようとしない。平和をもっとも確実に維持するためには、戦備をつよくして秩序を守り、侵略者にはけっして譲らぬ明瞭な政策を示すことが必要条件であるとは考えず、諸君は他人を傷つけなければ当然自分も被害から守られている、と思っている。しかしそれだけでは、ラケダイモーンが二つ隣り合って並んでいても平和を維持することは難しかろう。しかるに今や、さきにも示したとおり、かれらアテーナイ人にたいしては諸君のつねづねの態度は時代おくれも甚だしい。技術においても同様、つねに新が旧を駆逐するのは必然の理である。もちろん内外に憂なきポリスであれば、古きに変わらぬ習慣こそ何より望ましいが、さまざまの問題解決にせまられている国は、これに対応する手段の改革が必要だ。アテーナイ人が今日あるのもこの理による。彼らは数多の経験にみちびかれて、諸君よりはるかに多くの改新をとげてきたのだ。」 |
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(2004年6月) |
トゥーキュディデース『戦史』より(訳:久保 正彰)(岩波文庫) |
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