丸屋 武士(選)
(2004年6月)
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 「スパルタ教育」とか「スパルタ的」という言葉が21世紀の今日もよく使われているように、このギリシャ都市国家スパルタとアテネの人類史に与えた影響ははかりしれない程大きい。
 日本においては縄文時代から弥生時代に移行しつつあった2400年余り昔(BC431年)、27年間にわたってギリシャ全土を混乱の巷と化したペロポネソス戦争が勃発した。アテネの勢力伸張を恐れたペロポネソス同盟側(その盟主はスパルタ)が戦争によってこれを阻止しようとしたからである。開戦に先立つこと約一年、BC432年7月スパルタで開催されたペロポネソス同盟の非公式会議とスパルタ人の集会においてコリントス人代表によってなされた演説は以下に示すように、極端な対置文形式を駆使した雄渾かぎりない演説であった。
 人間の歴史を動かしていく力は何か。その力と力の争い(戦争)はどのような形をとり、どのような経過をたどりうるのか、という大きな問いをひめて現実の事件の推移を見つめようとする歴史家ツキジデスの対置的思考法が貫かれている「コリントス人代表の演説」を一部紹介したい。
 「ラケダイモーンの諸君、スパルタの国体とスパルタ人の団結を諸君は過信しているために、われら他国人が何を言っても、まず疑ってかかるのがつねだ。だから諸君は落ち着いていられるのだが、同時に外の情勢についてはますます疎くなっている。じじつわれらが幾度となくアテーナイから侵害をうける可能性を諸君に説明したにもかかわらず、一度としてわれらの忠言に心をとめようとせず、われらが言えば言うほどに逆に猜疑心をふかめ、われらがたんなる私的な紛争に諸君を巻込もうとしているのではないか、と疑ってきた。そしてこのために、被害前ではなく事後にいたって本日列席の同盟国諸代表協議に招くことになってしまった。とりわけわがコリントスはアテーナイ人の横暴にたいし、またかたわら諸君の無関心な態度にたいして、格別の恨みを抱いている。この席においてわれらが発言を求めることは、とくに故あることと承知して貰いたい。」
(中略)
 「それと同時に、今とくに問題となっている諸君とアテーナイ人との重大な差違について、諸君に反省を求めるとすれば、隣人としての叱責を与えるには、われらが適任であると自負している。この差違について諸君は自分で気付いていない、諸君は敵とすべきアテーナイ人の性質についても、またかれらを相手の戦争が諸君の想像を全く絶する異質のものとなることも、一度として理詰めに考えてみたことがないようだ。まずかれらは改新主義者だ。鋭敏に策を立て、政策はかならず実行によって実らせる。ところが諸君は現状維持を奉じている。先のことは考えず、必要にせまられても実行にまでこぎつけようとはしない。また、かれらは実力をこえても、断行し、良識に逆らっても冒険をおかし、死地に陥ってもミ然としている。だが諸君はけっして、全知全能を発揮した例がなく、信頼すべきを疑い、恐れるべくもないものに何時までも脅えている。
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