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丸屋 武士(選) |
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(2003年1月) |
元来、一国の政治は通常、その国の構成員である一人びとりの人間の反映にしかすぎません。人民の上を行く政治は必ず人民の水準まで引き下げられるもので、このことは、人民より遅れている政治が結局は、人民の水準まで引き上げられるのと同様です。水は必ず低きにつくのが自然の理法です。これと同じように、一つの国家の総合的性格は必ずその法律と政治の中に表れます。立派な国民のいるところ、その国の政治はりっぱであり、無知で堕落した国民のいるところ、その国の政治は低劣です。実際のところ、あらゆる経験に照らして明らかなことは、一国の真価と威信とは、制度の形式よりも国民性に左右される方がずっと大きいということです。というのは、国家は個人のもろもろの状態の集合体にすぎず、また文明そのものも、社会の成員である大人と子供たち一人びとりの進歩向上の問題でしかないからです。 |
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国家の発展は個人の勤勉と活動力と高潔な精神の総計で、このことは国家の衰亡が個人の怠惰と利己主義と悪徳の締めくくりであるのと変わりがありません。私たちがいつも大きな社会悪だ、とけなしているものは、その大半がそれぞれの人間自身のゆがんだ生活が作り出したものにすぎない、ということが分かります。従って、法律の力を借りて社会悪を減らしたり、根絶やしにしようと努めても、個人の生活状態と品性が根本的に向上しないことには、それは、何か別の形で、またぞろ雨後のタケノコのように発生するだけでしょう。こういう考え方が正しいとすれば、最高の愛国心と博愛心は法律や制度を変えることにあるのではなくて、各自が自由にして自立心あふれる行動をし、これによって他の人々に向上、発展のための助けと刺激を与えることにある、ということになります。 |
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サミュエル・スマイルズ『自立心』より(訳:大野 一郎)(星文社) |
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