 |
 |
 |
丸屋 武士(選) |
 |
(2003年1月) |
この論文「体育の研究」は1917年毛沢東が長沙の師範学校に在学中(23歳)に雑誌「新青年」に発表されたものである。 |
|
|
「我々の国力はきわめて弱い。軍事もふるわない。民族の体質は日を追ってわるくなっていく。これはまことにうれうべき現象である。 |
 |
・・・不肖私は体育の必要を痛感し、体育を提唱しているひとが的はずれのことをやっているのを嘆かわしく思い、国内の同志の中にはこの欠陥をうれえ嘆いてる人々もかならず多いと考え、あえて恥をかえりみず、自分の考えを発表し論議の参考に供したいと思う。 |
 |
・・・運動は体育の中で最も重要なものである。今日学問をおさめるものは運動を好まぬものが多い。その原因は四つある。第一は自覚がない事である。 |
 |
・・・体育は知識をふやすばかりでなく、感情を調整することもできる。感情の人間における作用はきわめて大きい。 |
 |
・・・よく見ることだが虚弱なひとは往々感情に左右されやすく、感情をおさえることができない。五官が不完全で身体に欠陥のある人はしばしば感情が一方にかたより理性をもってしてもおさえることができない。したがって身体健全なものは感情も正常である。というのは不変の直理である。 |
 |
・・・体育は感情を調整するだけでなく、意志を強くすることもできる。体育の趣旨は武勇ということであって、武勇の内容とは勇敢なこと、恐れないこと、大胆なこと、辛抱強いことである。これはみな意志にかかわることである。意志はもともと人生事業の前提となるものである。 |
 |
・・・幸不幸はわれわれの努力にかかっている。仁をおこなおうと欲すれば仁をおこなうことができる。体育も同じ事である。おのれがふるい立たなければ外形的、客観的にいかに善美をつくしたところで利益をうけることはできないであろう。それゆえ体育は必ず自分自身の発意ではじめなければならない。 |
 |
運動をおこなうにあたって注意することが三つある。第一は継続しておこなうこと。第二は全力をそそぐこと。第三は荒々しさと素朴さである。 |
 |
毛沢東『体育の研究』より(雑誌「中央公論」昭和39年3月号) |
 |