丸屋 武士(選)
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普通教育の専門教育
 善悪正邪を判別する力、正しいことをして満足し、よこしまなることを行って不快を感ずるという心、これらの修養は、終生つきまとうところのものであって、中等教育以前にすでに養われる力である。およそ社会の表面に立ちて大なる仕事をなす場合、その人の力は中等教育以後の教育によって養われるものが多いが、普通教育において道徳的修養の出来ていなかった人は、力はあってもその方針を誤ることが少なくない。大なる力はあっても誤れる方向にこれを用いるときは、人を益せず己れを誤る結果を生ずる。
 これに反して、たとい力は微弱でもこれを用いる方向が正にして善なる場合においては、その力相応に人をも益し己れをも利することが出来るであろう。なおまた、普通教育の方法いかんによりては、その人の天稟を根底より動かし得ないにもせよ、素志を貫く力、困難にたえる力、労を人に譲らぬ心がけ、保健に努力の習慣、これらの力は大いに普通教育の時代に養わるべきである。しかして専門教育のときによくその効果を挙げる人々は、普通教育において養われたるこれらの力いかんによるものである。即ち普通教育の基礎いかんによって専門教育の効果が別れると見てよい。この道理により、専門教育・普通教育、いずれも偏重することが出来ぬが、しいていえば、普通教育をもって第一と考うべきであろう。高等師範学校は我が国普通教育の渕源であり、文部省普通学務局はその行政をつかさどる官庁の当局であるから、この大切なる普通教育の方針を誤らず、正しき発達を遂げしめようとしてこの両所に長い間職を奉じていたのである。
(2004年8月)
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