丸屋 武士(選)
(2004年8月)
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 前稿(シリーズ9)でお話したように、嘉納治五郎は短期間のうちに五高、一高の校長を歴任した。更に明治30年(38歳)には東京高等師範学校(現筑波大学)校長に就任し、翌年には文部省普通学務局長を兼任して日本教育界の巨人となった。ここに紹介する一文は嘉納の東京高師校長及び文部省普通学務局長兼任の弁である。
普通教育の専門教育
 教育にはいろいろの種類がある。しかしこれを大別すれば、専門教育と普通教育とに分かれる。この二部門はどちらもひとしく国家の大切なる施設に相違はないが、しいて軽重を論ずるならば、自分は普通教育に一層重きをおかなければならぬとおもう。なんとなれば、普通教育は二重の任務をもっているからである。即ち一は、多数国民の教育であり、一は専門教育の基礎教育である。いかに少数の人が高い専門教育を受けておって各般の研究が進んでも、一般の国民が道徳的に知力的に、また身体的に貧弱なものであれば、その高い専門教育も用をなさぬこととなる。
 即ち専門教育を受けた人も、実際に当たりては多数普通教育のみをうけたる人とことをともにせねばならぬからである。また専門教育の基礎として普通教育を見るときは専門教育を受け得る能力は普通教育の時代に養われるべきである。よい普通教育を受けておれば、その上に受ける専門教育の成績が上がってくる。これと反対に普通教育の基礎がよくないと専門教育は効果を顕わさない。また道徳教育の根本は普通教育のおりに養われる。もっとも緊要なる教育は、小学校以前の家庭教育にあるといってよい。三つ児の魂百までというがごとく、幼少時の教育は人の一生を支配するものである。それ故、小学校、中学校の教育において受けた道徳教育が人の一生の行動を支配するということになる。
 中等教育以後の修養も軽視することはもちろん出来ぬが、自分は中等教育を終わるまでの間に養い得た力というものが、人に最大なる精力を与えるものであると信じている。これを細論すれば、いろいろの方面にわたりていい得るが、まず主なるもの二、三をあげてみよう。
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