実り多き米国留学三年―秋山真之海軍大尉の気迫
終章(エピローグ)
既述のように明治33年8月アメリカから帰国後、秋山真之は間もなく常備艦隊参謀そして海軍大学教官等を務め、明治38年5月には連合艦隊第一艦隊参謀として旗艦「三笠」に乗艦、5月27日から2日間戦われた、世界戦史に画然たる「日本海(対馬沖)海戦大勝」に大きく貢献したと言われている。 『アメリカにおける秋山真之』の著者・島田謹二東京大学名誉教授は、秋山真之大尉のアメリカにおける活動を次のように総括した。
「いまでのように日本国あるのみを知って、外国の実相を知らぬ者は、いまだ語るに足らない。しかし外国に対する知識と盲信とだけで、われらの実体とわれらの生命とを知らず、信じない者も、わが党の士とは言いがたい。この人を知り、この己を知るというのが、新しいナショナリストの名にあたいする必要な資格である。『世界の中にある日本』という自覚がはっきりもたれて、それに対処する方案を持ち、その精神をちゃくちゃくと実践しぬくこと。―それが新しいナショナリストに必要な本質である。……」
けだし名言ではないか。 松山藩下級武士の五男として生まれた秋山真之は、既述のように、幼少年期からの親友・正岡升(まさおかのぼる、後の子規)の上京に刺激され、松山中学を5年で退学、東京大学を目指して上京し、周知のように陸軍将校である兄・秋山好古の下宿に転がり込んだのであった。 士族とはいえ足軽より一階級上の徒士身分(禄高10石程度)であった秋山家の家計を考えると、東京大学での学資や生活費の見通しは厳しく、真之(幼名・淳五郎)は9歳年上の兄・好古(幼名・信三郎、日露戦争には騎兵第一旅団長として出征、「日本騎兵の父」と呼ばれる)が陸軍士官学校(旧制陸士3期生)に進んだように、学費はタダ、生活費も支給される海軍兵学校へ進路を変え明治19年に海軍兵学校に入学、明治23年、首席(同期88名)で卒業する。 その秋山の病死(大正7年2月、享年49)を悼んで、海軍兵学校同期生の一人(海軍中将・森山慶三郎)が次のような文章を寄せた。
「……われらの海軍兵学校に入りたるは、明治十九年、築地で二年、江田島で二年の学校生活を経た。……東大予備門出の君は、第一学年を終わった時から首席をおし通した。君は容貌、非凡、容易に動かず、動けば敏捷なること隼の如くであった。負け嫌いの、意志の強き、無頓着な、器用な、組織的な、まことに稀代の人物であった……」
更に、秋山が渡米した明治30年、海軍兵学校(第25期)を次席で卒業した山梨勝之進(後に海軍大将、海軍次官)は明治33年、海軍少尉としてイギリスのヴィッカーズ社で建造された戦艦「三笠」の本国回航委員に任命され程なくして中尉に昇進、明治34年には同艦に乗り組み、明治35年2月にイギリスを出港、同年5月に帰朝した経歴の持ち主であるが、「高い人格」によって広く知られていた。 その「高い人格」を信頼されてか山梨は少年期の平成天皇を迎えての学習院長や、太平洋戦争敗戦後初の水交会(帝国海軍関係者や海上自衛隊関係者らのOB団体)会長を務めた。そういう山梨勝之進が同じく秋山の病死を悼んで、秋山真之(教官)のこと、と題して次のような文章を寄せた。
「私が海軍大学校学生のころ、教官に秋山真之中佐がおられました。戦略・戦術・戦務を体系づけられた、飛びつきたくなるように魅惑的で、筋が通って胸のすくような講義でありました。アメリカ海軍の空気と、感情と、科学的方法と組織とを、日本海軍に導入されたのは、秋山教官の力であります。 ジョミニあり、クラウゼヴィッツ、孫子等が、口をついて出て来る。川中島の戦史を説く時、(甲越の軍書にいわゆる)車懸かりの戦法とはこういうものだと詳しく説明して下さいました。 『二十閲月ノ征戦已ニ往時ト過ギ……』という連合艦隊解散の辞など、一遍でなぐり書きをしたといわれますが、世界の名文ですな。普通の人ではありませんでした。のべつ頭が活動しているのですね。兄さんの好古将軍も偉い人でしたが、頭の方は弟さんの方が上でした」
実り多き米国留学三年―秋山真之海軍大尉の気迫
主要引用参考文献
本稿執筆にあたり、以下の文献を参照しました。記して感謝の意を表します。(順不同)
島田謹二著、 『アメリカにおける秋山真之』 1969年、朝日新聞社刊
谷光太郎著、 『海軍戦略家 マハン』 2013年、中央公論新社刊
高橋是清著、 『高橋是清―立身の経路』 人間の記録81,1999年、日本図書センター刊
萩原延壽著、 『陸奥宗光』上巻、2007年、朝日新聞社刊
権田益美著、 「横浜開港場の運上所内英学所―へボンの社会的活動との関連で」 『港湾経済研究』 第47号、2008年
江藤淳、勝部真長編、 『勝海舟全集14』 1970年、勁草書房刊
Edmund Morris 著、“The Rise of Theodor Roosevelt” Random House 2010年刊
有泉貞夫著、 『星 亨』 1983年、朝日新聞社刊
PDF 第2章 札幌農学校の設置(1876〜1880)―HSCAP―北海道大学
中村彰彦著、 『山川家の兄弟 浩と健次郎』 2005年、学陽書房刊
松村正義著、 『日露戦争と金子堅太郎 広報外交の研究』 1987年、新有堂刊
入江寅次著、『邦人海外発展史』1981年、原書房刊
朝河寛一著、 『日本の禍機』 1987年、講談社学術文庫
山本七平著、 『空気の研究』 1997年、文芸春秋社刊
入江昭著、『日本の外交』 1966年、中公新書
徳富蘇峰編述、『公爵山縣有朋傳』原書房複製、1969年
ホイジンガ著、兼岩正夫訳『歴史を描く心』ホイジンガ選集3 1990年 河出書房新社刊
D・ハルバースタム著、浅野輔訳『ベスト&ブライテストー栄光と興奮に憑かれて』1976年 河出書房新社刊 増田四郎著、『ヨーロッパとは何か』 1967年 岩波新書
トゥキュディデ―ス著、久保正彰訳『戦史』 1966年 岩波文庫
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