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丸屋 武士(著)
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エグゼター大聖堂正面(2004/12撮影)
 もう少し大帝ピョートルに注目しよう。ピョートルがお忍びで(偽名を使い身分を偽り)、使節団の一員として各国を歴訪するふりをしても、あぶり出しその他外交官たちの暗号文による至急文書が使節団より先に各国宮廷に到着していて、お忍び云々は一種の茶番劇であった。ピョートルがオランダに入国するやイングランド国王兼オランダ連邦共和国総督ウィリアム3世はオランダのユトレヒトにピョートルを出迎え、通訳を介して2時間程度懇談したという。この時点(1697年)ではウィリアム3世の武勇はヨーロッパ中に轟いており、ピョートルはこう挨拶したという。「これで願いがかないました。陛下にお会いする栄に浴したことでこの旅行は十二分に報われました。私の剣は、陛下の軍事的な天分から霊感を受けたものです。我が帝国を大きくしようとの気持ちを心のうちに芽生えさせたのは、陛下の活躍を見習うという崇高な決意にほかなりません」。そしてオランダでの「船大工」修業その他の何ヶ月かを過ごしたピョートルは、前述したようにロンドンに君臨するウィリアム3世を改めて訪問した。歓迎されたピョートルは例によって持ち前の旺盛な好奇心を発揮して様々な所を見学し、ついにはイングランド議会上院をこっそり見物したという。討論の模様を通訳してもらいながら、ピョートルはお供の者に「臣下が心に思う通りを聞けるとは、うらやましいことだ。このことではイギリス人に学ぶべきだ。」と言ったという。拷問、処刑、人体解剖が好きでたまらなかった大帝ピョートルのロシア近代化の努力も茶番劇の様相を呈する部分が多かったようである。
車窓からのエグゼター近郊
(2004/12 撮影)
 11月21日ウィリアム軍はエグゼターを出発、ロンドンへ向けて進軍する。気になっていた背後の要衝プリマスも24日には遠征軍の手に確保され、おまけにこの日は本シリーズ8の主人公ジョン・チャーチル陸軍中将が前夜のうちに国王ジェームズの陣営を脱走し、グラフトン公や400名の将卒と共にアクスミンスター(Axminnster)のウィリアム宿営地に投降して来た。迎え入れたオランダ軍のションベルク将軍は、(国王に次ぐ)副将軍が降参するとは、と軽蔑の色を隠さなかったという。その後ウィリアムはアクスミンスターから北東に進路を取り、シャボーン、ウォーミンスター、ニューベリー、アビンドン、ヘンレーへと軍を進めて行く。途中、近隣の貴族の館を訪れたり、有名な絵画を鑑賞したり、軍事的衝突の殆どない行軍であった。略奪等を禁ずる軍律は厳しく、ウィンカートンでは盗みを働いた兵士2名が絞首刑に処せられた。12月に入ってから12月18日ついにウィリアムがロンドンに入城するまでのいきさつや駆け引きについては、次々回(シリーズ13)にかいつまんで言及したい。
 ロシアも日本もその欧化の実態は表面的、外形的なものに過ぎず、皮相な開化と底の浅い文明の底流をなす日本人の体質(国民性)は、ペリー来航どころかマッカーサーによる占領によっても変わることがなかった。西洋の文明をただ外面的に把握するという習慣は太平洋戦争の敗北によっても変わることなく、二百数十年の太平安楽による空白状態によって培われたイエ・ムラ社会の特質が21世紀の今日に至るまで連綿として温存されてきたのである。その結果、公開、多数決と言う西洋の流儀に対し、非公開(根まわし)、満場一致という日本流はあくまで根強く、「万機公論に決すべし」というようなことは坂本龍馬ら一握りの人々の夢で終ってしまった。
 我々は今、ジャパン・アズ・ナンバーワン等の言葉に酔って、いわゆる日本的美風なるものに浸っていても、今後の(眼前の)問題解決には何の役にもたたないことを知るべきである。日本が直面する今後の(眼前の)問題とは何か。それは日本が少子高令社会となり間もなく近代国家としては前代未聞の「人口減少国家」に転落する、それと同時に経済のグローバル化は間断なく押し寄せる波のように止まることがない、という経験したことのない厳しい現実である。水爆ミサイルが飛び交って、地球に誰もいなくなる戦争を別とすれば、日本が抱える今後の問題は、対応によっては戦争と同じ惨禍を国民にもたらすことになり、それは公務員(官僚)を非難したり、政治家を嗤ったりして到底片づく問題でないことは明らかである。日本国民が有史以来初めて「近代市民社会の市民」としての自覚(政治意識)を持ち得るか否かによって決まる歴史的大問題である。「翻訳の職人」として、学問も商売も同じであり、学者も一種の職人に過ぎないという意識を持ち続けた130年前の「私立の人」、すなわち「自立の人」福沢諭吉と同じ視点に日本国民が立てるか否かということに尽きよう。明治5年福沢諭吉が発刊した『学問のすすめ』は当時のベストセラーとなった。しかしながら、「天は人の上に人を造らず・・・・・」云々の空疎単純なこの言葉のみが一人歩きをして、福沢が委曲を尽くし、口を酸っぱくして説いたその内容を日本国民は未だに全く学習していない。イエ・ムラ社会によって培われた封建的メンタリティーや「甘えの構造」と「ガチガチの島国根性」とが絡み合って状況は甚だ心もとないというか、絶望的でさえある。               (シリーズ12へつづく)
(2005年1月)
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