丸屋 武士(選)
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 勝が怒り心頭に発してその名前を引き合いに出したジョージ・ワシントンは1867(慶應3)年から遡ること92年前の1775年、植民地統一軍総司令官に任命されたが、植民地の実態は、不条理な本国イギリスに対して、逆らって皆で戦って独立を達成しようというような単純なものではなかった。「独立」とか「共和制」という言葉を聞くだけで民衆は怯えた。同時期の日本(老中田沼意次の時代)では民衆は「上様」だの「葵の御紋」だのに怖れ畏まっていたが、植民地アメリカにおいても王様(イギリス国王)に逆らうようなことはどちらかと言えば大多数の人々にとっては、とんでもない事、空恐ろしいことであった。そういう植民地の雰囲気を一変させたのがイギリスから移住して間もないトーマス・ペインが1776年1月出版した僅か19ページの小冊子『常識(Common Sense)』であった。「おお、汝ら人類を愛する者たちよ、圧制に対するのみならず専制君主にも逆らう勇気のある者たちよ、立って進め」といった名調子のこのパンフレットは3ヶ月で12万部売れたという。今日の600万部以上に相当するベストセラーであると言われている。この小冊子がアメリカ植民地軍を結束させ数ヵ月後(1776年7月4日)に出された「独立宣言」への道を開いた。フィラデルフィアの医師ベンジャミン・ラッシュが「アメリカ独立の大義を主張する論争的な文章を発表して植民地民衆を結束させること」をペインに勧めた結果であった。その際ラッシュは「独立」と「共和制」という言葉は民衆を怯えさせるので使わないよう助言したという。


トーマス・ペインの肖像
(ジョージ・ロムニーの肖像画をもとにした
シャープの銅版画,1792年
A・Jエイヤー著大熊昭信訳
『トマス・ペイン社会思想家の生涯』より)
 傑出した社会思想家あるいは国際派革命知識人であり、なによりも史上最高のアジテーターとしてアメリカ独立戦争における三軍の将にも勝る働きをしたのがペインであった。ペインが執筆した小冊子『常識』と論文記事『危機(Crises)』は『聖書』や『祈祷書』せいぜい『天路歴程』程度の本しか読んだことがない人々を政治思想に耳を傾ける聴衆に変えることに成功した。そしてこの聴衆を政治討論の場へ導くことによって、トーマス・ペインはジョージ3世が君臨するイギリスの植民地支配とその貴族政的あるいは寡頭政的「政治秩序の正当性」に真っ向から異議申し立てをしたのである。ペインこそは「アメリカ合衆国」の「合衆国(合州国)」という言葉を世界で始めて使用した人物である。彼は標的とするイギリス国王ジョージ3世に対しては「イギリスでは、国王は戦争することと、地位を与えること意外なにもすることがない。つまり、簡単に申して、国を貧困にし、人々に諍いの種を蒔き続けるばかりなのだが、それでいて年に80万スターリングを与えられ、おまけに尊敬されるとは、いやはや結構なお仕事ではないか。こうした王冠をいただいたごろつきに比べたら、いつの世の国王にせよ、一人の正直な人間の方が、社会にとっても、神の目から見ても、ずっと価値があるのだ、違うだろうか。」という調子であった。「社会はわれわれの必要から生じ、政府はわれわれの悪徳から生じた。」というのがペインの基本スタンスであった。


言問橋から桜橋をのぞむ。米国ワシントンDCのポトマック河畔には日本から送られた3千本を超える桜が咲き誇るという。
桜橋は海舟が参禅した弘福寺の裏手にある。
 イギリス軍(その多くはドイツ人傭兵)との戦いは負けることが多く、兵力5000にまで落ちてしまった植民地軍は厳冬の寒さから身を守る衣服さえ不足するという状況に陥ったこともあった。幾多の厳しい局面を乗り越え、8年に亘った独立戦争に勝利して1787(天明7)年春、フィラデルフィアに集まったジョージ・ワシントンを始めとする55名の知的エリート達(「建国の父」)は、民主主義とは健全な共和国政府にとっては脅威である、と一致して考えていたという。この結果「アメリカ合衆国憲法」には「民主主義(デモクラシー)」という言葉はいっさい使われなかった。ワシントンもジェームズ・マディソンも、民主主義は煽動家を生み出し、煽動家は政党をでっち上げ、そして政党は野合と派閥という害悪を生み出す、という考えで一致していたという。基本的な政体を共和制にするか、少数独裁政治かあるいは合同体にするかについて議論を重ねていた憲法制定会議が終わり、ベンジャミン・フランクリンが議場を出てきた時、彼のそばに一人の老婦人が近づいてきて「先生、どうなったんですか。共和制ですか、それとも君主制ですか。」と尋ねたという。これに対してフランクリンは、「奥さん、共和制ですよ、もっとも、あなた方が、共和制を守っていくことができればの話ですがね」と答えたという。「建国の父」の中には、ジョージ・ワシントンを大統領とする君主制を提唱する者もあったのである。(拙著『昭和の開国』より)
 満場一致で選出されたジョージ・ワシントン大統領は自ら三選を断り、アメリカ「合衆国(合州国)」独特の共和政体は今日に至った。離婚その他諸々のことに関する法律や手続きが州ごとに異なる実態を我々日本人は殆ど認識していない。ハンドガン(ピストル)の購入はある州では警察署長の許可を必要とするが、別の州では駄菓子を買うのと変わらない気安さで買うことができる。基本的に州として、してはいけない事は外国と戦争を始めること、或いは外国と外交関係を結ぶことであり、その他のことは各州が自由に決める、と考えて差し支えあるまい。弁護士の資格を得るにしても、そのための試験は州ごとに異なるのが「アメリカ合州国」である。

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