丸屋 武士(選)
       8  10 11 12

嘉納治五郎
 『嘉納治五郎〜私の生涯と柔道〜』
(日本図書センター1997年刊)より

         ペリクレス国葬演説
               (中略)
 われらは質朴なる美を愛し、柔弱に堕することなき知を愛する。われらは富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。また身の貧しさを認めることを恥とはしないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる。そして己れの家計同様に国の計にもよく心を用い、己の生業に熟達をはげむかたわら、国政の進むべき道に充分な判断をもつように心得る。ただわれらのみは、公私両域の活動に関与せぬものを閑を楽しむ人とは言わず、ただ無益な人間と見做す。そしてわれわれ市民自身、決議を求められれば判断を下しうることはもちろん、提議された問題を正しく理解することができる。理をわけた議論を行動の妨げとは考えず、行動にうつる前にことをわけて理解していないときこそかえって失敗を招く、と考えているからだ。この点についてもわれわれの態度は他者の慣習から隔絶している。われわれは打たんとする手を理詰めに考えぬいて行動に移るとき、もっとも果敢に行動できる。しかるにわれわれ以外の人間は無知なるときに勇を鼓するが、理詰めにあうと勇気をうしなう。だが一命を賭した真の勇者とは他ならず、真の恐れを知り真の喜びを知るゆえに、その理を立てて如何なる危険をもかえりみない者の称とすべきではないだろうか。またわれわれは、徳の心得においても、一般とは異なる考えをもつ。われらのいう徳とは人から受けるものではなく、人に施すものであり、これによって友を得る。また施すものは、うけた感謝を保ちたい情にむすばれ、相手への親切を欠かすまいとするために、友誼は一そう固くなる。これに反して他人に仰いだ恩を返す者は、積極性を欠く。相手を喜ばせるためではなく、義理の負目をはらうに過ぎない、と知っているからだ。こうしてただわれわれのみが、利害得失の勘定にとらわれず、むしろ自由人たるの信念をもって結果を恐れずに人を助ける。

       8  10 11 12