意志力道場ウォークとは
意志力道場 設立趣意書
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4.悟りへの道(十牛図)
 禅宗文化が最も発達した中国北宗中期(11世紀中葉)から南宗初期にかけて、「悟りはどのようにして得られるのか」、修行生活の始めから悟道に至るまでの過程を牧牛にたとえた絵と歌(図と詩)の組合せが作製されました。曹洞宗の清居皓昇(せいごこうしょう)禅師は、医者が患者の病状に応じて処方するように、禅の修行者の力に応じて方便をめぐらし、牛飼いが牛を飼いならしていくのにならった段階的牧牛図を描き、臨機に教えを説きました。『遺教経(ゆいきょうきょう)』には、牛の鼻面をしっかりとつかまえて、よその畑を荒させないように、お互いに自分の心にしっかりと手綱をつけて油断をしてはいけないというたとえがあるといわれます。仏教発祥の地インドでは殺生戒が行き届いており、ことに牛はヒンズー教では神の使いとして大事にされていることは周知の通りです。中国でも禅宗においては「本来の自己」を牛になぞらえ、禅の修行を「逃げだした牛を連れ戻し飼いならす過程」とみなして、悟りを得るための修行の強調、激励が行われました。
 清居皓章の『牧牛図頌十二章』を嚆矢として十種近い牧牛図が知られている中で、明代以降の中国及び朝鮮半島では雲門宗の円通法秀の弟子普明(ふみょう)禅師作『牧牛図』が広く受け入れられて来ました。一方、日本においては室町時代以降同じ禅宗でも臨済宗楊岐(ようぎ)派に属する廓庵禅師(廓庵師遠(かくあんしおん)禅師)作の『十牛図』が一般に普及されて来ました。ひとつひとつの絵には立派な漢詩がつけられており、その絵の中に描かれた牛は本来の自己をあらわしています。10枚の絵と詩による「悟りへの階梯」は廓庵『十牛図』に従えば

@ 自己の本心(本来の自己)たる牛を尋ねる 《尋牛;じんぎゅう》
A 牛の足跡を見つける 《見跡;けんせき》
B 牛を見つける 《見牛;けんぎゅう》
C 牛を手に入れる 《得牛;とくぎゅう》
D 牛を飼いならす 《牧牛;ぼくぎゅう》
E 牛に乗り悟りの世界である家に帰る 《騎牛帰家;きぎゅうきか》
F せっかく手に入れた牛を忘れる 《忘中存人;ぼうちゅうそんにん》
G 人も牛も空であると悟る 《人牛倶忘;じんぎゅうぐぼう》
H もとの帰り源に戻る 《返本還源;へんぽんげんげん》
I 手を垂れて町に入る 《入てん垂手:にってんすいしゅ》

の十段階となっています。
 これを要するに真の自己(見失われた本来の自己)を探しそれを認め、自分のものとする、その結果心の平安を得てしあわせになるところに修行の前半の目標を置いています。廓庵の弟子茲遠(じおん)によってこの十段階は、それぞれの修行者の力に応じて、あたかも飢えたものに飯を食べさせ、渇いた者に水を飲ませるような親切で行き届いたものとの賛辞を呈されております。この『十牛図』が日本の禅宗修行者達に『信心銘』や『証道歌』等と共に広く親しまれ、五山時代(鎌倉・室町時代)には大いに流行しました。さらに江戸時代に至り廓庵と普明の双方を総合する形で、月坡道印(げっぱどういん)の『うしかひぐさ』(和文、1668年)が出版されました。これらの動きはいわば「悟りのマニュアル化」ととらえることができるかと思います。既に路上やグラウンドばかりでなくスポーツクラブのウォーキングマシンの上で動禅(動く禅)と称しウォーキングを実践している方々もいるようです。リハビリの為に杖をつきながら行うおぼつかない散歩も、風を切って軽快に歩を進める速歩も心を正し心の平安を得ることにおいてその価値には変わりはないのです。 十牛図漫画:階梯のもとになった「十牛図」を簡略化した漫画でご説明しています。
(2002年 2月)
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