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作家フレデリック・フォーサイスがいつも座った席
 
2015年09月01日(火)
道場主
**秘密**
 
2004年12月20日、ロンドンのモンカーム・ホテル(Montcalm Hotel)に予約もなく一泊した小生は
翌朝、朝食のために部屋を出てロビー奥の食堂の入り口に立ちました。

食堂はそんなに混んでもいない様子でしたが、何十秒も待たないうちに、迎え出てきたウェイターは中年の日本人男性で、もしかしたら食堂の支配人であったかもしれません。

にこやかに小生を迎え入れた彼は、一番入り口に近い席に案内して、「ここはフレデリック・フォーサイス様の特別席です」と言ったのでした。

聞いてみると、小説『ジャッカルの日』その他の作者として有名なフレデリック・フォーサイスは、モンカーム・ホテル食堂の入り口に近いその席に、入り口の方を向いて座り、入り口に背を向けた相手と飲食を共にしながら、長時間、聞き取り取材をしたようでした。

人殺しの経験を有する暗殺者、出生証明書の偽造者等々、諜報・謀略活動(数限りない非合法活動)のいろいろな場面に、実際に登場した人物たちから実情を取材したのでしょう。

ウェイターに言われ、自分の座っている席の後を見ると、そこに小さな真鋳のプレートがはめ込まれていて、プレートには英文で、作家フォーサイスが、そういう目的でモンカーム・ホテル食堂の「その席」を頻繁に使用したことが書かれていました。

歴史家トレヴェリアンの説に共鳴して、小生自身も「人類史上1000年に一度の快挙」であると深く確信するイギリスの「名誉革命」、それを成し遂げたオランダ人ウィリアム3世の事績をたどる写真を撮ってウェブサイト『意志力道場』に掲載するために、7泊8日のオランダ、イギリスへの一人旅に出た中での出来事です。

そしてこの小さなインシデントによって、小生は自分がこれから書く文章が、同年輩のフォーサイスに後押しして貰えるかのような錯覚(夢?)に暫し浸ることが出来、いつものように量的にたっぷりとしているEnglish Breakfastが、この日はことさら美味に感じられました。

倒産した日本航空(JAL)が提携したホテルとして、て2012年12月31日を以て運営を終了したモンカーム・ホテルには、この2004年当時、フロントに日本人女性社員がいたばかりでなく、食堂には、小生にとって「忘れられない思い出」を作ってくれた、このように機転の利く男性社員(食堂支配人?)がいたのでした。

1985年11月に初めてイギリスを訪れた目的は、モノクロの日本の家紋とは全く異なり、色彩豊かで、森羅万象あらゆるものを図柄としながらも、紋章学(Heraldry)という学問(ルール?)が確立して数百年が経ち、今現在も「紋章院(College of Arms)」という役所(官庁)が厳然と機能している、イギリスの紋章(Coat of Arms)の撮影でした。

その時のホテルはロンドンのハイドパークの近く、昔、山本五十六中将が日英海軍軍縮交渉のために滞在したホテルを態々選んで、そこに1週間滞在し、オックスフォード、ケンブリッジあるいはヨークへの日帰りの紋章撮影旅行をしました。
中でも「西洋文明の極致」と称えられるウェストミンスター寺院、その一番奥まった位置にあって「東西のキリスト教世界で最も美しい礼拝堂(Chapel)」と形容されている「ヘンリー7世礼拝堂」」内部の美しさには息を呑んだことを思い出します。

2回目となる2004年のこのイギリス訪問は、小生自身の境遇が変わってしまってから1年後のことでもあり金銭的に厳しい中でしたが、オランダ、イギリス7泊8日、9万5千円という格安旅行券を手に入れて、「人類史における1000年に一度の快挙」 を是非とも跡づけるために、しゃにむに出発しました。 

格安旅行券から一晩だけ逸脱して、予約もなく一泊しただけの見ず知らずの小生を、咄嗟に、あのテーブルに案内した日航(関係)社員の機転が身に沁み、今もフォーサイスの名前を見聞きするたびに、その事を思い起こします。